6/8/2021_自殺をしなかった理由のようなもの #7

前回は、『クイズマジックアカデミー2』をしたいがために外出の機会が増え、プレイ料金とゲーム代を稼ぐために書店でバイトを始めたところまでを書いた。
バイトは表面上はうまくいっているように思えた。基本的に誰とも口をきかない生活を送っていたため、最初のころは口や舌がろくに動かず、「ありがとうございます」もまともに言えなかったと記憶している。わたしが何度言おうとしても言えず、すでにレジから去っていったスーツ姿の男性が振り返って笑顔を向けてくれたときは、少し救われた気がした。また、わたしはその書店に(途中でさまざまな変遷はあるのだが、実質的に)3年ほど務めていたのだけれど、本を探すときに、かならずわたしを指定してくれるようになったお客さんもいた。書店員としての仕事に誇りを感じていたわけではないように思うけれど、思い出すと、いまでもちょっとうれしさがこみ上げてくるような気もする。

もちろん、いいことばかりではない、というか、基本的にはストレスのたまることばかりだった。もともと勢いでなにかを始めることの多かったわたしは、最初はその勢いで「はじめてにしてはうまいね」といったことを言われるのだが、そのあと、壁を乗り越えることができずにすぐ成長が止まることが少なくなかった。中学のときの部活もそうだった。最初の数週間はほめられ、もてはやされた。しかし、そのうちだめ部員のような立ち位置におさまっていくことになった。高校時代の軽音部もそうだった。結果、わたしは半年で部を離れた。優しくしてくれた先輩たちにろくなあいさつもできなかった。
書店でもその傾向は多少あり、思い出したくも書きたくもない失敗もたくさんした。そのあいだに何人かの女性にもフラれた。わたしは子どもだった。いまだにそのころの恋愛や仕事の失敗を思い出しては、いても立ってもいられなくなる。なにかが爆発しそうになる。猛省の念に覆われる。どよんと。けれど、なぜ腕を切りはじめたのか、そのきっかけが思い出せない。時期も思い出せない。最初は高校3年生のときだったような気もするけれど、そうではないような気もする。思い出せない。ストレスは勤務日数に比例して増えていったと思う。

確実に思い出せるのは、高校を卒業して、専門学校に通っているときのことだ。そのときのわたしはゲームをつくりたいと思って、専門学校でプログラミングコースを選択した。言語はなんだったか。C+だったか、C++だったか。覚えていない。しかし、授業を受けているときに、自分の左腕が傷だらけだった情景は覚えている。
こういうとき、書店での記憶はあまり役に立たない。書店に務めていたころの3年間で、わたしは仕事でも仕事外でもさまざまな経験をした。はじめてコミケに行ったのもこのころだった。いろいろなことがあった。だからかは知らないけど、ときには包帯を巻いて、ときには巻かず、傷がまる見えの腕で接客していたことだけは覚えている。でもそれがいつのころだったかは覚えていない。だから、確実に言えるのは、専門学校に通っていたころには確実にリストカットが日常的な行為になっていたことだけ。
ちなみに、その専門学校というのも1年半で中退していて、傷だらけの腕でキーボードを打っていた情景が1年のときだったか、2年のときだったか、覚えていない。通信制のころの怠け癖が抜けなかったのか、やる気がなかったのか思い出せないけど、専門学校にいい思い出はひとつもない。いつものように「最初はいいけど途中で挫折」とかではなく、最初からひどい状態だった。なんのために通っているのかわからなくなるようなありさまだった。

頭を使わずに書いていると、つらい話ばかりを書いてしまいそうになるし、そういう文章をいまは書きたくないから、話を前に進めよう。とにかく、わたしの日々のストレス――自分への怒りやもどかしさ、焦り、むろん強迫性障害によって自分の人生が制限されてしまっていることへの怒りや、ふまじめな同僚への怒り、理不尽なお客さんへの怒り、コミュニケーションを取ることなどまったく不可能になっていた親への怒りなど、基本的にはさまざまな「怒り」がわたしをリストカットに向かわせた。怒りの矛先がどこにも行けず、自分の腕に向かうのだ。だから、当然腕の骨に沿うように、縦に切るようなことはしなかった。死ぬためのリストカットではなかった。横に何本も線を入れた。いつからだったら、左ふくらはぎも切った。腕よりもすぱっといくので、腕を切るのに慣れていたわたしも、最初はおどろいた。

いまから思えば、深夜アニメやノベルゲームで救われることも少なくなっていたのかもしれない。アニメを見る本数、ゲームをプレイする本数も減っていたような気がする。それだけ、「いまここ」である現実世界でどうにかうまく生きていきたかったのかもしれない。しかしそれがうまくいかず、かんしゃくを起こすように腕を切っていたのかもしれない。恋愛に対するコンプレックスも無関係だとは絶対に言えない。小学校のときも、中学のときも、高校のときも、バイトを始めてからも、わたしの恋愛は一度も成就しなかった。風俗にも行かなかったので、完全なる童貞だった。
自傷行為は耳にも向かった。カッターで切りつけたわけではない。もともと激しい音楽も好きだったこともあり、よくヘッドホンを使って最大音量で音楽を聞いていた。激しい音楽も、激しくない音楽も、とにかく爆音で聞いた。そうすると、頭がぼーっとしてきた。マリファナなんかをやったことがないから比べることはできないけれど、そうやって音で頭をぼーっとさせることも、わたしの怒りを多少は軽減してくれた。

そうした日々が続いていくなかで、わたしは譜面台とギターのシールド(ギターとアンプをつなぐ)で首を吊って死のうと思った。そのあたりの話を次回。もしこれを読んでいる人で、なにかどこにも向けようのないへどろのような念を抱えていて、それを自分ひとりで抱えられなくなったら、下に書いてあるわたしのメールやSNS宛にそれをぶつけてほしい。人を救える自信はまったくないけれど、自分の経験が少しでもなにかのヒントになるならば、いくらでも話そうと思てる(そう思って、いつも自分の連絡先を最後に載せてる)。きょうはここまで。

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