後藤まりこさんの音楽がすてき

からだが動かなくなるとき、気持ちがどうにもいうことを聞いてくれないときのいくつかある対処方法のうちのひとつが、むかしから音楽を聴くことだった。なかでも、とりわけ琴線に触れるミュージシャンの方たちがいて、後藤まりこさんはそのひとり。
そんな後藤さんのいくつかある活動のうちのひとつ、後藤まりこアコースティックviolencePOPのライブを観にいくことができたのが、今年、2021年だった。8月15日の日曜日にあったあるイベントに後藤さんが出演されていたので、妻とふたりで行ってきたのだった。

そのとき心を揺さぶられた様子やライブを観てなにか書きたくなったことを、その日のうちか次の日くらいには書きはじめていたのだけれど、結局どうにも書き上げることができなくて年末になってしまった。作家でも評論家でもライターでも有名ブロガーでもない、つまりなんの影響力も持っていない自分がなにかについて書いたところで……といった気持ちや、自分が書いている文字、言葉、言い回しに対する嫌悪感(?)というか、違和感のようなものが10年弱前くらいからずっとあって、それがいまだに残っていて、だから、自分のことについて書くならまだしも、そんな状態で誰かのことについて書くのはなかなかわたしにとってはむずかしいというか、気が引けることなのだけど、でも書かないのは書かないでおさまりが悪いというか、書かずにはいられない気持ちみたいなものもあって、年末の勢い(?)を借りて今回こうして書きなおしてみてる。

かといって、ライブレポートとかそういう感じのものを書きたいわけでもなく、ましてや音楽評論のようなことがしたいわけでもなく(そもそもできない)、じゃあ結局自分はなにを書きたいのだろうと思ってもいまだにうまく言葉にできないのだけど、ひとまず、後藤さんの曲が、ライブが、とてもすてきだったということを書きたいことだけは確かです。
でも、じゃあその感動とかを、言葉を並びたてて表現したいのかというとそういうわけでもなさそうで、そもそも音楽を聴いたときの感動を言葉で表現するのってなんか自分にとってはとても無理のある行為のように思えるというか、音楽によって受けた感動や感情の動きは音楽でしかお返しできないんじゃないかと思ったりもするわけです……とか書くこと自体がなにか、音楽に対するぼうとく(?)なのかなとか不安になったりもするんです。

そういう、言葉のめんどうなところ、むずかしいところに足をすくわれてからだが動かなくなったり、気持ちがどうにもいうことを聞いてくれなくなったりするのだけど、最初に書いたように、まさにそういうときに音楽を聴いたりライブを見るとすべてを吹き飛ばしてくれるというか、どこかにトリップさせてくれる気がするんです。

後藤さんのTwitterアカウントはいまは消えているけれど、わたしはYouTubeのメンバーシップは続けていて、またいつか新曲が聴けたらうれしいなと思ったり、新曲が聴けなかったとしてもこれまでの曲をこれまで聴きつづけてきたようにこれからも聴きつづけていくんだろうなと思ったりするし、とにかく8月の後藤さんのライブはすてきだったし、後藤さんの曲もどれもすてきなのです。そういうことを書きたくなった年末なのです。