※自殺に関する記述があります。

なんだか、すべてが無意味であるように思えて生きる気力をそがれるということは少なくない人が経験することだと思う。全人類が一度は経験したことがあるのではないかと思えるほどだけれど、実際にそこで自殺を選ぶ人とそうでない人がいることは確かなようだ。もちろん、自殺をした人が抱えていた無気力のほうがそうでない人の無気力よりも重かったとか、そういうことは簡単に比べていいことではない気がするし、事実、そもそも比べる術をわたしたち人類はもっていないし、もつべきでもないと思う。ここで問いたいのは、どうしたらわたしたちは自殺をしないまま生きつづけることができるのかということだ。

その問いについて考える前に、一つ考えておきたいことがる。自殺を選んだっていいじゃないかと思う人もいるであろうということについてだ。だから本来であれば、どうしたら自殺をしないまま生きつづけることができるかという問いの前に、なぜ自殺を選んではいけないのかという問題について思考を深めていくことが誠実であるということなのだと思う。けれど、ここではそれについては深追いしない。というよりも、そもそもわたしはそこに深追いした結果、自殺を選んではいけない確固たる理由を見つけることがいまのところできていないからだ。たとえば自分がリストカットをしていたころの、そして首を吊って自殺未遂をしたあの日の自分に何を伝えるべきか、あれから約18年たったいまもわかっていない。けれど、自分にとって生きる意味がいま存在していることは確かなので、生きつづけている。

なんだか早くも話がわからなくなってきた。一つ前のまとまりを読み返してみると、生きる意味を見つければ、自殺をせずに生きられるというふうにも読めてくる。しかし、これは単なる同語反復なのではないか。生きる意味があれば、生きる意味があるのだから自殺はしない。それはそうだろう、となる。だとしたら正確な問いは次のようにあるべきだ。生きる意味はどうしたら見つけることができるのか。

まず確かなことは、生きる意味を見つけるという表現は適切ではないということだ。生きる意味に限らず、意味というのはそもそも人間の頭の中で事後的に生成されるものなので、「あ、ここにあったのね」といって生きる意味が転がっているということはない。見つけるというのは、生みだすという言葉の比喩でしかない。そう、結局は自分で生みだすしかない。しかし、言い換えると、生みだしさえすればよい。これは考えようによっては見つけるという行為よりも簡単に思えてくる。生みだすことにあたり制約は基本的にはない。自分が「これが生きる意味だ」と思えればそれで終了。それがあなたの生きる道です、となる。

しかし、これもまたずいぶんと乱暴な物言いだ。生きる/自殺するという二項対立がフェイクだ。いや、もちろんそのように構造化し思索を進めていくことはできるだろう。しかし、通常このような話をするときに持ち上がってくる二項対立は、生きる/死ぬというものではなかったか。いや、なかったか、なんて急にいわれても知らんよと自分でも思うわけだけれど、確かに、なぜいきなり自殺の話になるのという疑問はわいてくる。いやいや、それは最初に書いてあっただろう、わたしはきっと『すべてが無意味であるように思えて生きる気力をそがれ』ている状態で、だから自死というキーワードが浮かんでくる。1000字以上使って、わたしは入り口に戻り、結局何が書きたいのかもわからなくなってしまった。

たとえば、わたしは次のように問うべきだったのかもしれない。なぜすべてが無意味だと思ってしまうのか、と。まず、この一文において「すべて」というのは比喩であるということを押さえておく。わたしは、自分のことも含めて、この世界のすべてを知っているわけでは当然ない。だから、注釈をつけるべきだ。ここでいう「すべて」とは、あくまでわたしの視野におさまる範囲でのことだ。また、それでもまだ正確ではない。なぜなら、わたしは先ほどわたしには生きる意味があると書いた。ということはたとえ「すべて」というのがわたしの視野におさまる範囲であったとして、わたしはそれらすべてに意味を見いだせない状態になってはいないということになる。

となると、次に問うべきなのは、そこで言われている「すべて」とは……いや、そろそろ自分にうんざりしてきた。何を書いているのか。暇なのか? いや、暇ではないです。いま自分が抱えている怒りや悩み、それについて書きたいという気持ちがあって、けれど寝るまでの短時間でそれについてある程度整理された話を展開できないから、その怒りや悩みからくる無力感や徒労感についてついだらだらと書いてしまったに過ぎない。では考えを少しずつまとめていき、推敲を重ね、納得いくところまでいったら公開すればよいじゃないかという話になるが、わたしにそのような辛抱強さはないため、少しずつでも吐き出していかないと心がもたない。ということで、これからここではこのような散文を書かなくて済むようにしたいというのが当面の目標。それは生きる意味の一つではある。