Ep3_2018_6_18_スタンフォード監獄実験と『es[エス]』について

スタンフォード監獄実験が実施されたのは1971年。
世界初の宇宙ステーションとなったソ連サリュート1号が打ち上げられ、アメリカのフロリダでディズニーワールドが開園された年。
大阪万博が開催され、ソルジェニーツィン(Солженицын)ノーベル文学賞受賞が発表され、三島由紀夫が自決した1970年の1年後であり、あさま山荘事件が発生し、川端康成のガス自殺と沖縄返還、そしてウォーターゲート事件が発生した1972年の1年前。

それはわたしが生まれる18年前のことであり、みさきが生まれる14年前のことだ。
14年というと、生まれた子供が中学2年になるくらいの年数で、18年というと、その中学2年の子供が32歳になる年数。
いまから14年前の2004年には自衛隊のイラク派遣が始まり、Facebookが登場し、スマトラ島沖地震が発生していて、その18年前の1986年にはアメリカのチャレンジャー号の爆発事故が、そしてチェルノブイリ原子力発電所でも事故が発生した。

スタンフォード監獄実験が実施されたのは1971年。
実験が行われた1971年からいままでに流れた年月は、数字でいうと47年、約半世紀。
そんな長い年月が経ってからようやく、その実験に虚偽が含まれていたことが明るみに出た(日本でもTogetter一部メディアでは紹介されてるものの、五大紙ではいまだ報じられていない)。
実験について以前より疑いの目が向けられることもあったとはいえ、こうしてはっきりとした事実が提示されると、やっぱりちょっとぐらぐらする。

けれど、その衝撃は、5日前の石井辰典氏のツイートを見てから一晩遅れてわたしに訪れた。
そしてその遅延は、ニュースの衝撃とは異なる落胆をわたしにもたらした。
最初に当該ツイートを見たときにわたしが強く感じたのは、新事実のグロテスクさよりも、そんなグロテスクな側面があらわになることはわたしたちの社会のごくありふれた一コマであるという現実認識だった。
虚偽公文書作成容疑で告発された前国税庁長官たちは不起訴とされ、そのこと自体が日常の波に淡々と飲みこまれていってしまう。
わたしたちは、「ポピュリズムフェイクニュースの時代に生きている」*1。「社会のポストモダン化が徹底した時代」に生きている*2。素朴すぎる本音と半自動的で猫かぶり的な忘却の時代に生きている。
そんな時代の感覚にわたしの内面が撹乱され、麻痺しはじめていることに、わたしは落胆した。
今回のスキャンダルの内容や新事実の露呈それ自体が現代的な現象であるということが言いたいわけではない。そんなわけはない。そういう話ではなく、今回のスキャンダルを取るに足らない日常の風景の一コマとして無感動的に受け流してしまいそうになるくらい、いまの時代の感覚に犯された目になっていたということに気づいて、わたしは肩を落とした。

この週末、何年かぶりにオリヴァー・ヒルシュビーゲル(Oliver Hirschbiegel)es[エス](Das Experiment)(2001)を観た。
史実やさまざまな現象をベースにした物語に触れるとき、わたしたちは現実と虚構のあいだで揺れ動く。
これってほんとに本当にあったできごとなの? こんなことが実際に起っていたなんて。ここまでは本当だろうけど、ここからはきっとフィクションだよね。え、ここは事実なの? 事実は小説よりも奇なり。こんなことが現代社会で起こっていたなんて。すごい。怖い。ひどい。凄惨。でも観たい。だからこそ観たい。そもそも現実こそがフィクションなのでは……。
何度『es[エス]』を観ても浮き上がってきた、波に揺られるようなそうした感覚を、今回ばかりは覚えることはなかった。
きっと、今後もないと思った。
そして、悔しさが残った。
それが何に対しての感情なのかいまだによくわからないのだけれど……。

*1:東浩紀「ゲンロンの未来――創業八周年に寄せて」、東浩紀編『ゲンロンβ24』ゲンロン、2018年

*2:東浩紀(聞き手=坂上秋成)「哲学的態度=観光客の態度」週刊読書人ウェブ、2018年6月18日閲覧