5/28/2021_自殺をしなかった理由のようなもの #2

首を吊る話の前に、時系列的に若いほうの話、リストカットの話を書いておこうと思う。
妻と一緒になってから一度も腕もふくらはぎも切らなくなったけれど、切っていたときの気持ちは、吊ったときの気持ちよりかはまだ記憶として定着している。それも当然の話で、吊ったのは一度きりだけど、切ったのは何度かも覚えていないくらいに切ったから。勉強と一緒で反復はなにかと大事です。

たぶん、最初は17か18歳のころだったと思う。
と、年齢のことを書いていて思い出したけれど、リストカットや自殺未遂の問題について、わたしの持病である強迫性障害のことについて触れずに語ることは真実から遠ざかることになるので、なるべく言葉が真実から離れないことを心がけたい身としては、まずは強迫性障害のことについて書くべきだろうと、いま思った。

ただ、それについて書くのは、リストカットや首吊りのことを書く以上に難しい。なにかの比喩とかではなく、文字どおり、難しい。それだけ、自分のなかでまだ整理がついていないことだからだと思う。実際、いまも闘病は続いているようなもので、通院したりしている。精神障害者保健福祉手帳は、一番軽度の3級のものを持っている。

始まりは、16歳のときだった。
でも、その病気について話すためにはまず15歳のころの話、わたしが高校1年だったころの話をするのがよい――さっきからなにかを書こうとしては記憶を潜っていっている感じだけれど、実際、わたしのなかではそういうふうなフローチャートになっているし、それは何かを書こうと過去を振り返ったときに思い出したりするものだから、しばし辛抱してもらえればと思う……。

わたしは、高校受験で失敗した。ここでの失敗とは、第一志望に入れなかったことを意味する。推薦、一般、両方の方式で第一志望校に落ちたわたしは、第二志望である、有名私大の付属校に通うことになった。
第一志望の推薦だったか一般だったか、その両方だったかもさだかではないけれど、掲示板に自分の受験番号が載っていなかったときの「静寂に閉じ込められる感覚」はわりと鮮明に覚えている……うーん、「静寂に閉じ込められる感覚」というのは、あまりいい表現ではない。あのときのあの感覚は鮮明に覚えているけれど、その感覚を的確に表現する言葉が思いつかない。それが思いついていたら小説家になっていたかもしれませんね。

小説といえば、わたしはこれまで、自分の感情や経験や思考や感覚は、なるべく小説に変換して表現したいと思っていた。そして実際いくつかの短編をネットで発表しているけれど、いまこうして小説というかたちではなく、基本的にはエッセイ未満の日記、記録のようなものとしてこれを書いているのは、どうにも小説を書く気力がわいてこないから。言い換えると、わたしが「書きたいと思っているもの」を小説で表現できることができるのなら、それを優先する。わたしにとって、フィクションが現実に存在していることはとても大事なことだから。つまり、もし小説で表現できるときが来たら、この「記憶の書きとめ」を中断することはあるかもしれない。内容が内容だけに、「書き出したのなら最後まで書くべきでは?」と自分でも思うので、がんばるけれど、約束はできない。

さて、話がちょっとずれて疲れてしまったし、小説を書けるかどうか寝る前に一度試してみたいという気もするので、きょうはここまで。

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