音楽について、ほんの少しだけ

きょうの日記(公開用)を500字くらい書いたところで、すべてを消した。自分のきょうの仕事について書こうと思ったのだけれども、寝る前にちょっとした気持ちで書くような内容ではないなと書いている途中に気づき、すべてを消した。下書きでとっておくこともしなかった。とっておくほどの価値はないと思ったから。

でも「価値」ということを言い始めると、「そもそも自分が書くものに価値など……」という思考にすぐに陥るので、きのう書いたように、結局はなにもかかないほうがよいという結論になってしまう。でもその状況に甘んじていることに耐えられなくてこうして書いているわけだから、こうして書きつづけているときにふとした拍子でなにかが出てきたらラッキーだな、というくらいの気持ちで書いている。むかしはそんなことはできなかった。もっとテーマがあって、構成があって、主張したいこともあって、事実関係も調べて……と、そうした内容をブログで書いていきたかった。でもそれは自分には無理だと気づいた。この先できるようになる可能性はゼロじゃないと自分をなぐさめることはもちろんできるけれど、まあ事実としていまこの瞬間にできていないことは確かで、それはそれとして一度受け止めておく必要があると思う。
きのうのエントリーで、10代のときから書いている内容が驚くほど変わっていないといったようなことを書いたけれど、そんな未熟な文章をこうして外に出せるようになったこと自体はある種の成長とまでは言わずとも、変化であることは確かだと思う。

ということできょうの日記なのだけれども、最近、時間があるときにエレキギターを弾いている。むかしは高校のときに一瞬だけ軽音部に入っていたのでエレキギターやアンプやエフェクタなど最低限の一式は持っていたけれども、パートナーと同棲を始めるときに持病の強迫症が関係して手放すしかなくなったときがあった。それから10年以上たって、パートナーがむかし抽選でゲットしたとあるギターがパートナーの実家に眠っていて、最近それを譲り受けた。それからは、毎日、好きな曲のなんとか弾ける部分だけを弾いてひとりで勝手に気持ちよくなっている。技術もなにもあったものではないけれど、言語とメタ認知による無限ループにとらわれてなにもできなくなってしまうもどかしさをすべて吹き飛ばしてくれる。わたしにとって音楽というものは10代のあるときからずっとそういうものだった。だからギターを譲り受ける前も聴くことはあったけれど、実際に自分で弾いてみることとはやっぱり大きな違いがある。
音楽はわたしにとって裏技というか、チートというか、なにかほかのものとは確実に一線を画すような、ドラッグのようなものに近い。ドラッグを使ったことがないから想像で書いてるだけだけれども、とにかく、言語の檻からわたしを解き放ってくれる。もちろん、歌詞に感動することもある。好きな歌詞もある。けれども、そのさらに手前というか、根源的なところに、言語を介さないで自由の海に放り込んでくれるような、そんな解放感が音楽にはある。でも、そうであるがゆえに多くを語ることができない。すでに語りすぎている気もする。ただそこに音楽があって、そこに浸る。その瞬間の積み重ねがなかったら、パートナーと出会う前の10代のわたしは生き延びることができていなかったと思う。