備忘録:2023年9月17日

結論としては、「なにも書かないほうがよい」ということになる。
Twitterで日々思ったことのごく一部を投稿している。けれども、それでは消化不良。当然のことで、「ごく一部しか書いていないから」。そこで昔から思っていた。ブログのほうがまだ自分の思っていることを外に出すには適しているんじゃないかと。とはいえ、何かを書こうとしては1文字目を書くどころか編集画面さえ開かずにぼーっとしたりTwitterをだらだら見たりほかのことをしたりして、結局なにも書かないままいま、2023年9月17日を迎えている。
きょうもそうだった。1時間以上前から、書こうとは思っていた。けれども体は動かず、ベッドでぼーっとするも、気力が自然と回復してくるわけでもなく、そもそも気力があれば文章は書けるのかという問題もあり、結局こんな時間になってしまった。先ほども書いたように、こんなことがもう何年も前から続いている。だから、この件に関する結論としては、「なにも書かないほうがよい」ということになる、さまざまな意味で。
ただ、それでわたしの人生がこのまま終わってしまうことを避けたいという気持ちは決して小さくない。でも自分には思っていることを筋道立てて書く能力がないしそれを身につける努力も怠っているし知識もないし……ということで結局最初に書いた結論になる。
この悪循環をどうにか断ち切るには、内容はともかく、まずは書きはじめてみるのがいいのではないかと思っていた、ずっと。でも、これまた先ほど書いたようにそう思い立って勢いもつけたけれど、結局こうして書きはじめるまでに1時間以上かかってしまったし、ここまで書いた数百文字がなにか世の中にとって意味のあるものになっているかというと、とうていそうは思えない。

と、こんな文章を10代で書いているならまだよかったのかもしれない。実際、わたしの公開していない日記の内容は10代のときから驚くほど成長していない。そのときどきで使用語彙に変遷や変化はある。けれども、本質的に書いていることは変わっていない。「これではだめだ」。その焦燥感だけがずっと書き連ねられている。これを「なにか」の準備期間として前向きに捉えるという方法もある。けれど、それは自分を甘やかしているように思えて、その捉え方に居座ることができない。また、軽く見積もっても自分としては15年以上なにも成長していない、というより、変わらなければと思っているところを変えることができていないため、謙遜でもなんでもなく、実績がそれを物語っている。

たとえば、性被害の二次加害をしている会社などにがんばって問い合わせをしてみる。けれども、無視される。そうして、気力を奪われ黙っているしかなくなる。自分がしていることの意義をまったくもって感じられなくなる。

後藤まりこさんの「4がつ6日」を聴いて寝る。

2013年、ちょうど10年前に発売された『m@u』というアルバムの1曲目に収録されている。