6/4/2021_自殺をしなかった理由のようなもの #5

前回は、強迫性障害(Obsessive Compulsive Disorder、以下、OCD)の話を出したところで終えた。繰り返しになるけれど、OCDについて、始めから書いてみようと思う。
はじめに異変を感じたのは、高校2年の4~6月ごろ、実家のトイレの電気のスイッチを汚く感じるようになったときと、洗濯は自分で自分のものだけを洗いたくなったとき。このふたつのどちらが先だったかわからない。けれど、おそらく電気のスイッチのほうが先だったんじゃないかなって思う。
具体的に言うと、とある夜、トイレを終えたわたしは、自慰行為にふけろうとした。けれど、そのときにふと、「自慰のために使う自分のこの手は、先ほどトイレの電気のスイッチに触れた手ではないか?」と思った。さらに具体的に言うと、仲の悪い親も触れているスイッチに間接的に触った手が汚く思えたのだ。その夜、自慰行為を中断したかどうかは覚えていないけれど、そのあたりから、わたしの世界は「きたなくないもの/きたないもの」に分かれた。

OCDについて詳しく書こうと思うと、それだけで疲れ果ててしまって、肝心の自殺未遂の話ができなくなってしまいそうなので、ここでは軽く流すだけにする。いつか書けるときが来たら、詳しく書けばいい(←自分に言い聞かせている)。
ざっくり言うと、OCDの主症状は強迫観念と強迫行為のセットから成り立っており、それらによって日常生活に支障が生じていると本人が苦痛を感じたあたりで、OCDと診断される(詳しく知りたい方は、Wikipediaを見たり、『DSM-5』や『ICD-10』のページを図書館でめくってみて、診断基準などを眺めてみてほしい)。
わたしの場合、「両親、男性、他人のつばなどが『汚いもの』」とされ、それらに触れたり、近づいたり、触れた「かもしれない」と思う疑念が止まらなくなることが、わたしにとっての強迫観念。そして、その不快感を解消するためにかならずハンドソープで手洗いをしたり、お風呂に入ったりすることが、強迫行為。そして、この強迫行為の遂行が、日常生活のさまざまな行為よりも優先せざるを得ないぐらい「そうせずにはいられない」というレベルになると、「障害」と診断される。実際、数カ月してわたしの異変に気づいた両親の勧めにより、わたしは精神科を受診し、OCDと診断され、投薬治療を始めることとなった(念のため付け加えておくと、ここでの『汚いもの』という概念は、科学的な根拠に基づいた定義ではない。まったくもって主観的なものだ)。

高校2年生の夏ごろには、すっかり自分で自分のものだけを洗濯することが当たり前になり、わたしの生活はOCDによって制限されるようになっていた。わたしがなにをしたいかよりも、「OCDによってじゃまされない範囲でなにができるか」という要素が優先される。それは自分の意思ではどうにもならない。まるでわたし以外のだれかがわたしの人生の主導権を握っているような感覚に陥る。強迫観念や強迫行為の内容に変遷はあれど、いまでも治ってはいない。

高校2年の夏以降、いつごろだったかは覚えてないけれど、完全なうつ状態に陥った。投薬をしても一向によくならないOCDに振り回される毎日に疲れ果て、わたしは、「なにもしない」ことを選択し、ただただ泣き崩れて時間をやり過ごすだけになっていた。「なにかをすると、手を洗わないといけなくなる。だから、なにもしない」。単純な道理ではあったけれど、その原因であるOCDには論理も意思も通用しなかった。

けれど、わたしがリストカットを始め、首を吊るにいたったのは、その時期ではなかった。廃人のようになっていたわたしも、ほんとうに文字どおりなにもせず何日間も生きていくことはできない。なにかを食べるし、出すものは出すし、世界で起こっていることを完全にシャットアウトできるわけでもない。わたしの活動力はある興味、関心によって、少し回復していった。次回はそのあたりの話をします。きょうはここまで。

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